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2008年 04月 22日
振り返ってみると、最近は行動経済学とか経済心理学だとか実験経済学のエントリが多い気がする。面白いというのもあるけれど、すごく論文が読みやすいのですよ。普通の理科系素養があればムチャクチャ簡単に読めてしまうのだ。なるほどね、この分野の人達の論文生産性が高く、ブログエントリも多い理由がわかった気がする。
ところで、"The Logic of Life"のTim Harfordと"Predictably Irrational"のDan Arielyの間で大変マイルドな論戦が起きていて、内容がとても面白いのだ。こことかこことかここを参照のこと。 両者の本とも同時期に出ているのだが、それぞれに反対の意味をもつタイトルを持っている本である。片方は一見不合理に見える人間の行為も実は経済的な合理性があることを強調する本で、もう一方は人間は何度も同じような不合理な行為を繰り返す傾向があることを強調する本だ。つまり、それぞれの主張のが立脚している場所が逆とはいわないまでも違うのだ。 それで、この論戦において面白いのは次の部分である。実はHarfordの本にあるのだが、実験経済学や行動経済学の結果は人間の限定合理性をあまりに強調しすぎるようなのだ。当然ながら行動経済学者としては行動経済学の論文を書かなければならないというインセンティブ構造があり、人間の限定合理性をその学問の宿命として議論しなければならない。しかし、そうすることによって、実験デザインが人為的に限定合理性を強める傾向を孕むのではないか、そしてその傾向は実験デザインが実際の社会の文脈から切り離されているような条件で行われることで強調されているのではないか、という問題提起だ。つまりHarfordが指摘するのは、行動経済学や実験経済学には内在的な「限定合理性バイアス」があることである。 Harfordはこれを議論するのに具体的な論文Gneezy, U., List, J. 2006をあげ、必ずしも行動経済学の実験結果は、実際の社会に埋め込まれた文脈の結果と一致するわけでないことを示している。この論文は、寄付のボランティアの行為が金銭的なインセンティブの有無によりどれだけ変わるかということをみた論文だ。論文の結論はというと、実験室の結果では金銭的なインセンティブはボランティアの行為を変えるのに対して、実際の社会の文脈ではそれほど変えないというものであった。ちなみにGneezyは先日紹介した保育園のお迎え遅れ論文の著者でもある。 これに対してArielyはいろいろと反論を開始しているのだが、僕的にはどうも説得力にかけるように感じるのは、論文生産のために実験デザインを変更していないという理由が、彼のインセンティブ構造をみたとしても、見つけることができないためだと思う。これからのこの論戦で注目したいのは、Arielyが「限定合理性」をわざと導くような実験デザインをしてないことをどう示すのかという点である。 それにしても西の文明国のブログスフィアでたびたび感心することは、文化人のディベートのレベルが高いことである。用語の定義間違いを指摘し合う泥仕合をしたり、基本的帰属を攻撃したりという低レベルの議論作法は、はじめからエクスクルードされているのだ。
by yutakashino
| 2008-04-22 23:54
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