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2008年 01月 06日
先日、勝間和代さんのご自分の写真がバンバンと入った新しい自己啓発本を書店で立ち読みしていて、あまりのビミョウなコンテンツに何度も吹き出してしまい、もう行くところまで行ってしまったか感を強くした。まさに西のFerriss、東の勝間、自分コントロールフリークの東西横綱土俵入り、という感じ。このままで行くと後一歩で新興宗教の教祖になれると思う。余計なお世話だし、他人から言われたくもないのだろうけれど、せっかくスリムになったんだから、早く新しい愛を見つけて落ち着いた方がいいんじゃないか。それくらい痛々しく見えてしまう。
で、本題はというと、自己啓発系の人が薦める本の話だ。勝間さんは月15万円を書籍代に費やしているそうだ。じゅうごまんえんですよ、ジュウゴマンエン。なんともまあ。で、新刊の勝間本に勝間さんオススメと言われる本が巻末に列挙してあるのだが、それがまた、あまりのビミョウサにのたうち回るほどのセレクションだ。逆に、どうすれば月15万円も使っているのにも関わらず、あのような駄本を集めることができるのかを、ノウハウとして知りたい。まるで偽装系として有名になったアパホテルの社長の帽子みたいに、金はかけているけれど箸にも棒にもかからないカンジだ。Ferrissの本の巻末にもオススメ本が列挙してあるのだが、それを見ればただ嘆息する。お前本当は本なんてマトモに読んだことないんだろ、と。 なぜああいったオーバーアチーブ傾向にある、自己コントロールフリークの著者が薦める本には駄本しかないのだということを、今回は話題にしたい。まずは駄本かそうじゃない本かの差異の定義が必要だが、決定的な差はその本が持っている知識の内容と構成方法にあると思う。基本的に本は知識や情報を伝えるメディアであり、メディアとして重要なのは意味のある知識を如何にうまく構成して伝えることであり、そこが駄本かそうでないかのクライテリオンになる。 そもそも意味のあるキチントした知識とは本来的に両義的なものであり、甲乙をすっきりとつけることができないものだ。数学や物理学でさえ、いろいろな初期条件や境界条件で囲んで議論とするべき範囲を限定したとしても、その議論から対象としている知識は往々にしてこぼれてしまうし、ノーテーションや記法の差だけでもまったく違った解釈が出てくることだってある。ましてや、社会で行われる営みを知識化しそれを伝えようとすれば、そのあまりの複雑さと多様さに気が遠くなるのは当然だと思う。 名著やバイブルと呼ばれる書籍は、そういった知識が持っている本来的な複雑さや多様さを、その文章(や数式や図表)と構成方法で伝えることができるからこそ、名著やバイブルなのだ。当然ながら、そういった本は、すっきりと読めないから行きつ戻りつ呻吟することになるし、一旦読んで分かった気になっても後から別解釈ができたりと複雑精妙な構成となるものだ。 複雑で多様な知識は、一人の自己程度の狭い知性ではコントロールができないので、分らないまま違和感のあるままとりあえず受け入れて放っておくしかない。そして、いつ解決するともなく待ち続けるような態度が必要になる。長い間放って飼っておくと、ある時エウレカ!体験がある。それは知識が本来的にもっている複雑さや多様性を受け入れるだけの知的なイイカゲンさが必要であると言ってもよい。名著やバイブルは、そのような「知的度量=イイカゲンさ」がある人間しか、その懐に受け入れてくれないのだ。 この要件は、まさに自己コントロールフリークの要件と矛盾するものである。自己コントロールの第一要件は、ゴールを設定して、最短パスを決め、そのパスを通ってショートタームでステップを切って、「自己実現」をすることだ。だから、いつゴールに着くとも限らず、行きつ戻りつする必要のある読書は最初からネグリジブルなものとなるのは当然だ。だって、もしも名著やバイブルを読み始めてしまうと読書ごときで自己コントロールができなくなるのだから、本人にとっては大変な事態だ。 つまり、自己コントロールフリークの著者は、その自己コントロールという性質のために名著やバイブルがもたらす複雑で多様な読書に耐えられないのではないか、だから彼らが推す本は、わかりやすさと読後感だけがすっきりしているような駄本だけになってしまうのではないか、というのがここでの仮説であり結論である。
by yutakashino
| 2008-01-06 00:29
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