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2006年 09月 03日
No AI, Do IA
最近はこれが自分の中での一つの標語となっている。AIはもちろんArtificial intelligenceのことで、人間のかわりに機械に知的な活動をやらせようということ。それに対して、IAはIntelligence amplificationのことで、人間の知的能力を機械を用いて拡張しようということ。つまり、知的活動をおこなう主体が機械か人間かでAIかIAの差異がでてくる。 以前研究所において一年だけAIに絡んだことがあったが、はっきりいってつまらなかった。パラメータあわせの職人芸というか、結局は行列の対角化問題にすぎないっていうか、よくあんなのでおもしろがることができるよな、という代物に感じた。いや、それはいいすぎか。確かにロボットが動いたり、翻訳精度が上がったりという実世界への実装に関しては文句が無く素晴らしい。しかし、その基礎学問というか、理論というものには、なんともがっかりさせられた。とにかく動く機械やシステムをつくって、その機械がある課題をできるように学習することをひたすら助けるってなかんじだ。その経験があるせいか、AIというものには興味がなくなり、機械に勉強させることを助けるよりも、自分で勉強したほうが面白いし、手っ取り早いと思うようになった。 それでIAということを突き詰めた場合、どんなに機械の助けがあっても、知的な能力を高めるためには、当該人間が「理解」しなければまったく意味がないということに突き当たる。www.lanl.govのようなプレプリントサーバーで検索が自在にできて画期的な論文が探せたとしても、当該論文の英語が読めなかったり、読めたとしても理解できなければ、なんにもならない。Googleがどんなに素敵な検索をしても、Amazonがどんなに素敵にリコメンデーションしてくれても、バカ相手ではそれ以上発展しないのだ。つまり、最後は人間の納得だとか得心だとか理解だとかが重要になってくるのだ。結局「理解」を助けることこそが、IAの鍵になると思っている。 ということで、「理解」をどうにか助けてやることが今後の一つのビジネスになるべきだと思う。もちろん、学校受験や資格試験の塾や予備校などがやっていることは、「理解」に関しての一つのビジネスソリューションである。大学や大学院が提供するものも「理解」に関してのソリューションである。しかし、そういった資格や学位を得るというような実利志向でないタイプのビジネスが今後必要なんじゃないか? 例えば、Yahoo! Japanに勤めている働き盛りの40歳の開発リーダーが、突然一般相対論が勉強したくなるとか、圏論が理解したくなるとか、生成文法の可能性を知りたいとか。つまり、純粋知的な興味に突き動かされて、勉強を始めるということである。しかし、そんな興味を持ったとしても、現状では夜学の大学・大学院にいくか、百歩譲って放送大学か、それとも教科書を購入して自学自習をするかである。現実は自分のキャリアや家族を犠牲にしてまで、知的な興味を実現しようとはしないために、せいぜい「図解 相対論」あたりを読んで知的好奇心をくすぶらせるのが関の山であろう。同じことは、今後激増していく引退したがエネルギーが余っている世代にもおきるだろう。あれが知りたいが、これを理解したいが、大学や大学院に入るのはちょっと、という人間である。なにより、結局大学院に入ったところで論文濫造マシーンになれなきゃ、居場所がなくなるんだけれどね。 そうなのである。IAの機会は今後ますます増えていき、それが満たされていない人間が増加中なのに、誰もケアしないのである。これって一つのビジネスになるべきだし、そういった「理解」のビジネスは自分でも活用したいと思う。というわけで、しばらく水面下でごそごそするかも。
by yutakashino
| 2006-09-03 12:50
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