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2007年 01月 28日
![]() カラヤンとフルトヴェングラー フルトヴェングラー後のベルリンフィルの主席指揮者(音楽監督)の座を巡る、カラヤン、フルトヴェングラー、チェリビダッケの野心と嫉妬と猜疑心というキタナイ人間模様を描いたもの。 あんなにも壮大で血が吹き出すような演奏を楽団から引出すフルトヴェングラーは、こんなにも優柔不断で、嫉妬深く、小さい人間だったのか?カラヤンは思った以上に戦略家で、抜け目がないが、最後はフルトヴェングラーの威光に悩まされ続けたのか?そして、インフェリオリティコンプレックスのカタマリのチェリビダッケだ。泰然として堂々とした一連のミュンヘンフィルの演奏は、楽団員を罵倒しまくって、完全に自分の支配下においていたからなのか? この本の一番のウリは、ベルリンフィルの第4代主席指揮者が、チェリビダッケでなくカラヤンに決まる部分をキチンと書いてあることだと思う。そうなのかー、チェリビダッケがキレまくって楽団員から嫌われていたことと、フルトヴェングラーが突然死んでしまい後継者候補がチェリビダッケとカラヤンしかいなかったこと、西ドイツの威信を欠けたアメリカツアーは確実に成功させなければならなかったこと、レコードを重視するカラヤンとEMIレコード利害が一致し各方面に圧力を及ぼしたこと、などが絡んでいるのか。 でも、事態を単純化しすぎて、漫画のように描きすぎている気がする。フルトヴェングラーの後継といっても、カラヤンとチェリビダッケ以外にも、当時でもベームだとかクナッパーツブッシュだとかワルターがいたはずなのだけれど、そちらの言及はあまりにないし。また、年代順の記述をしているように見えるのだが、論点を先取りして書いている部分が多数あり、結果がネタバレされていて読んでいて面白くない部分がある。さらには、偉大な芸術家達の汚い部分をさらけ出すことがこの本のメインテーマなのだから、その根拠となる資料はきちんと引用し、参照を明らかにしてほしかった。登場人物の内面を推測するにしても、その推測の根拠があるはずだ。その意味で、この本が採用した中途半端な沢木耕太郎的ルポライティングは減点だと思う。沢木耕太郎の良さは、あの沢木耕太郎が直接体験した生の部分にこそあるのだから、体験できないテーマには適用するべきでないと思う。 この本はカラヤンが主席指揮者に収まるところで終わっているが、その後のカラヤンには、商業的な成功とは裏腹に、内部的な問題と芸術上の評価の問題が常に付きまとう。カラヤンが、フルトヴェングラーを慕うベルリンフィルの楽団員に悩まされ、フルトヴェングラーの亡霊に付きまとわれかということが、内部ルポとして書いてあるのが、ベルリンフィルのティンパニー奏者だったヴェルナー・テーリヒェンの書いた「フルトヴェングラーかカラヤンか」である。この本はできる限り公平にフルトヴェングラーとカラヤンを扱おうとするが、どう読んでもカラヤンはベルリンフィルの芸術的シンボルとしては役不足である、としか読めない。テーリヒェンの本はオススメである。 個人的にはカラヤンの1981年と1984年の来日公演(どちらも東京文化会館、たしかチケット一枚30,000円くらいしたと思う)の演奏が、あまりのダメっぷりだったので深く失望して、以来カラヤンはほとんど聴いていない(確か84年のときは最後は立ってられなくて、片手で手すりを掴んで斜めになって指揮していたと思う)。カラヤンか、聴き直してみるかな。 一方でフルトヴェングラーについては、90年初めくらいから昔のライブ録音がCDで大量に発売されるようになったこともあり、今でも自分の中では「現役」だ。フルトヴェングラーのベートーベン、ワーグナー、そして一部のブルックナーはオールタイムベストである。 そういえば、カラヤンの後継としてクライバーがベルリンフィルの主席指揮者になるとか言う話もあったよな。クライバーが断って、結局はアバドがなったけれど。今はラトルだよね、たしか。まあ、クラッシック音楽はもうすでに進化が止まって久しく、絶滅寸前の音楽なので、ほとんどの人は何も気にも掛けなくなっているのは悲しいよね。これから台頭してくるアジアンやアフリカンが、フルトヴェングラーを再発見するなんてあるのかな? ああ、まとまらなくなったので、これにて打ち止め。 by yutakashino | 2007-01-28 16:51 | Book
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